戦前
自由が丘の盆踊りは戦前から地域の交流イベントとして行われていました。

HISTORY
自由が丘の盆踊りは戦前から地域の交流イベントとして行われていました。

戦後間もない時期には、商店主たちが復興途上の街なかに仮設の櫓を立てて、
自由が丘の盆踊りを復活させました。

高橋掬太郎作詞・江口夜詩作曲・花柳徳兵衛振付による「自由が丘小唄」が完成し、
現在の盆踊り大会の源流となる姿ができました。


この頃は、自由が丘の熊野神社境内で盆踊り大会が1週間にわたり開催されていました。
7月、歩行者天国の実施に伴い、道路行政が日本国内で大きく変わり、目黒区第10地区青少年対策委員会と近隣住民団体
(自由が丘町会、自由が丘住区住民会議、緑ヶ丘西地区)と協力・共催する形で、公道の自由が丘駅前ロータリーで開催することになりました。
この頃から、交通規制の自主管理や太鼓部結成、近隣の各金融機関の浴衣による参加、商店にスポンサーを募り、団扇の無料配布など、現代の自由が丘納涼盆踊り大会につながる礎ができました。
時代が平成になると、毎年8月1週目の木曜日~日曜日の4日間開催が定着し、商店街・住宅街・目黒区・警察・消防の協力で開催されるようになりました。
本部テント、無料荷物預かり所、チャリティ団扇配布、ビンゴ大会、踊りコンテストなどのイベントも定番化されました。


コロナウイルス感染拡大によるパンデミックが発生し、2年間は盆踊り大会の開催を断念しました。
代わりに、指導者と踊り手のメンバーで盆踊りを映像化した「リモート盆踊り」をYouTubeで配信しました。

コロナ禍がようやく明け、3年ぶりに盆踊り大会を開催しました。しかし、このとき運営側には2年のブランクが大きくのしかかっていました。
盆踊りを支える人材の高齢化、踊り団体の解散など、さまざまな問題が顕在化し、新しい盆踊りのカタチが求められ、再興への動きが始まりました。
新しい盆踊りのカタチ。まずは開催時期や開催期間の変更をしました。8月1週目の4日間開催を、
7月海の日の3連休に変え、8月の一番熱い時期を避けることと、負担が大きかった4日間という日数を減らすことができました。


高齢化した踊り手、踊り団の若返りを目指して「JBLA(Jiyugaoka Bonodori Lovers Association)」を結成しました。若い人たちにも興味を持ってもらえるJ-POPの曲でクラシカルな振り付けの盆踊りを踊る、新しい趣向の盆踊りを取り入れました。
JBLAは、自由が丘と盆踊りが好きな人であればいつでも入会できる門戸を広げています。